リード
前回の記事「需要予測モデル3手法:経験則→統計式→機械学習」では、需要予測には段階的な進め方があることを紹介しました。本記事では、その第一段階である経験則発注を、今日から実践できるレベルまで落とし込みます。
「勘で発注している」と聞くと非効率に思われがちですが、本当の問題は勘そのものではありません。担当者だけが判断基準を知っており、異動や退職で運用が止まってしまうことです。重要なのは、勘を「再現できるルール」に変えることです。
この記事で紹介する方法は、Googleスプレッドシートや Excel だけで実装できます。初期セットアップは約30分、毎月の更新は約10分。MAPE(平均絶対誤差率)30%前後を目標に、多くのEC事業者が最初に取り組むべき需要予測の土台を作ります。経験則を仕組みに変えることが、統計式やAIによる予測へ進む第一歩になります。
経験則発注の定義と守備範囲
経験則発注とは、過去の販売実績に、季節性やトレンド、リードタイムといった補正係数を掛け合わせて発注数量を決める方法です。
AIや高度な統計モデルは利用しませんが、単なる「勘」でもありません。計算式を使って担当者の判断をルール化し、誰でも同じ基準で発注できる状態を目指します。
この方法が最も効果を発揮するのは、販売履歴が十分に蓄積されている主力商品です。
たとえば、
- 販売履歴が3か月以上ある
- 毎月ある程度安定して売れる
- 季節性がある程度読める
- 売上上位80%を占める主力SKU
こうした商品は、経験則だけでも十分な精度が期待できます。
一方で、すべての商品を同じルールで管理するべきではありません。
- 新商品は販売実績が存在しないため、類似商品の販売実績を参考にします
- テレビ紹介やSNSで急激に売れ始めた商品は、通常の経験則では予測できないため週次で手動確認した方が安全です
- 廃番予定商品については、追加発注ではなく在庫消化を優先します
重要なのは、「経験則が使える商品」と「別ルールで管理すべき商品」を最初に分けることです。売上全体の約8割を占める主力SKUだけでも経験則で安定運用できれば、発注業務の多くは標準化できます。
自社で見るべき視点 まず確認したいのは、「全SKUを同じ発注ルールで管理していないか」です。主力商品と新商品、定番商品と季節商品では最適な発注方法は異なります。経験則は万能ではありませんが、適用範囲を限定することで高い効果を発揮します。
3段階のレベル分け
経験則発注と一言で言っても、精度には大きな差があります。おすすめは、最初から難しいモデルを目指すのではなく、3段階で育てていくことです。
レベル1:単純平均
もっともシンプルなのは、過去30日平均を使う方法です。
発注量 = 過去30日販売数 ÷ 30
× リードタイム日数
+ 安全在庫
販売が安定している商品なら十分実用になります。
- 実装時間: 約5分
- MAPE 目安: 40〜45%
SKU数が少ない事業者なら、ここから始めても問題ありません。
レベル2:移動平均 + トレンド係数(推奨開始点)
最初におすすめしたいのはこちらです。
発注量 = 直近7日平均
× トレンド係数
× リードタイム日数
+ 安全在庫
トレンド係数は、
直近3か月平均 ÷ 前年同期3か月平均
で計算します。たとえば前年比110%で伸びている商品なら、係数は1.1になります。
この方法だけでも MAPE 30〜35% 程度まで改善するケースが多く、EC事業者向けの最初の実装として最もおすすめです。
- 実装時間: 約15分
- MAPE 目安: 30〜35%
レベル3:季節係数 + トレンド係数(MAPE 30%達成の本命)
季節商品を扱う場合は、さらに季節係数を追加します。
発注量 = 直近7日平均
× 季節係数
× トレンド係数
× リードタイム日数
+ 安全在庫
季節係数は、
前年同月販売数 ÷ 年間平均販売数
で算出できます。たとえば7月に毎年1.4倍売れる商品なら、季節係数は1.4になります。
初期設定には30分程度かかりますが、その後は年1回程度の見直しで済みます。MAPE 25〜30% 程度を目標にでき、アパレルやアウトドア用品など季節性が強い商品では特に効果があります。
- 実装時間: 初期 30分、以後年1回の係数更新
- MAPE 目安: 25〜30%
どこから始めるべきか
最初から L3 を全SKUへ適用する必要はありません。おすすめは、
- 全SKUを L2 で運用開始
- 季節商品だけ L3 へ格上げ
という流れです。運用を止めずに改善できるため、担当者の負担も小さくなります。
自社で見るべき視点 経験則発注は「最も精度の高い方法」を目指すのではなく、「継続できる方法」を選ぶことが重要です。まずは L2 を全SKUで回し、その後に季節性の強い商品だけ L3 へ移行することで、無理なく予測精度を高められます。
実装5ステップ
ここからは、Googleスプレッドシートだけで経験則発注を運用する手順を紹介します。一度テンプレートを作れば、その後は月10分程度の更新で運用できます。
Step 1:販売実績データを揃える(初期10分・月次3分)
まず必要なのは販売データです。Amazon Seller Central、楽天RMS、自社EC などから過去24か月程度の日次販売データをCSVでダウンロードします。
Googleスプレッドシートには「販売実績」シートを作成し、最低限以下の項目を用意します。
| 日付 | SKU | モール | 販売数 | 単価 | 販売金額 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2026/7/1 | 主力商品A サイズM | Amazon | 5 | 9,800 | 49,000 |
毎月CSVを追記するだけで履歴が蓄積されます。可能であればレポートを定期出力しておくと、更新作業は数分で終わります。
Step 2:季節係数を作る(初期10分・年1回更新)
次に「季節係数」シートを作ります。必要な列は以下です。
| SKU | 月 | 前年販売数 | 年間平均 | 季節係数 |
|---|---|---|---|---|
考え方は、
季節係数 = 前年同月販売数 ÷ 年間平均販売数
たとえば、
- 年平均 100個
- 7月販売 140個
なら、季節係数は 1.40 となります。
一方で、大型セールやテレビ放映など特殊要因があった月は、そのまま係数に使わない方が安全です。年1回の見直しの際に、「異常月」と判断したデータは除外して係数を作ることをおすすめします。
Step 3:トレンド係数を計算する(月次3分)
トレンド係数は、「今伸びているのか」「減少しているのか」を反映するための係数です。基本式は非常にシンプルです。
トレンド係数 = 直近3か月販売数 ÷ 前年同期3か月販売数
たとえば、
- 前年同期 300個
- 今年 330個
なら、330 ÷ 300 = 1.10 となります。逆に前年比90%なら 0.90 になります。
ただし極端な数値にならないよう、
- 上限 1.5
- 下限 0.5
程度で制限するのがおすすめです。急激な変動をそのまま採用すると、発注量が暴れやすくなります。
Step 4:発注推奨数量を計算する(週次2分)
ここまで準備できれば、実際の発注数量は次の式だけです。
発注推奨量 = 直近7日平均販売数
× 季節係数
× トレンド係数
× リードタイム日数
+ 安全在庫
− 現在庫
− 輸送中在庫
最後に MAX(計算結果, 0) としておけば、マイナス発注になることもありません。
発送方法が
- モール直送(FBA など)
- 中間倉庫経由
- 自社倉庫
など複数ある場合は、それぞれ列を分けて管理すると運用しやすくなります。
Step 5:実績との乖離を毎月確認する(月末2分)
経験則発注は、一度作って終わりではありません。毎月「予測がどれだけ当たったか」を確認し、少しずつ精度を上げていくことが重要です。
おすすめは「振り返り」シートを1枚作ることです。
| SKU | 予測数量 | 実績数量 | MAPE | 判定 |
|---|---|---|---|---|
| 主力商品A | 280 | 300 | 6.7% | ○ |
| 主力商品B | 120 | 190 | 36.8% | △ |
| 主力商品C | 80 | 35 | 128.6% | 要確認 |
MAPE は次の式で計算できます。
=ABS(予測数量 - 実績数量) / 実績数量
MAPE が 40% を超えた SKU は翌月のレビュー対象とし、60% を2か月連続で超える場合は、
- 季節係数の見直し
- トレンド係数の修正
- 経験則では管理しない(別ルールへ)
といった判断を行います。
経験則発注は「完璧な予測」を目指すものではありません。毎月少しずつ改善しながら、自社の商品特性に合わせて係数を育てていくことが重要です。
自社で見るべき視点 複雑な需要予測モデルを作ることが目的ではありません。「販売実績・季節係数・トレンド係数・現在庫」という4つの情報を毎週更新できる状態を作ることです。この仕組みが整えば、発注判断の属人化は大きく減らせます。
具体例
実際に、主力商品Aを例に計算してみます。条件は次のとおりです。
- 直近7日平均販売数: 5.2個/日
- 季節係数: 1.4
- トレンド係数: 1.1
- リードタイム: 30日
- 安全在庫: 45個
発注推奨数量は、
5.2 × 1.4 × 1.1 × 30 + 45 ≒ 285個
となります。
現在、
- Amazon 在庫: 60個
- 中間倉庫: 40個
- 輸送中: 30個
であれば、現在利用できる在庫は 130個 です。したがって、
285 − 130 = 155個
が今回の発注推奨数量になります。
Googleスプレッドシートでは、たとえば次のような数式で計算できます。
| 項目 | 数式例 |
|---|---|
| 直近7日平均 | =AVERAGE(FILTER(販売実績!D:D, 販売実績!A:A>=TODAY()-7)) |
| リードタイム | =VLOOKUP(SKU, マスタ!A:B, 2, FALSE) |
| 発注推奨 | =MAX(直近7日平均*季節係数*トレンド係数*リードタイム+安全在庫-在庫合計, 0) |
この程度の数式であれば、Googleスプレッドシートだけでも十分に運用できます。
自社で見るべき視点 最初から完璧な予測式を作る必要はありません。まずは主力SKUを数商品選び、実際に発注推奨数量を計算してみることが大切です。数値を確認しながら係数を微調整していくことで、自社に合った経験則発注の型が少しずつ出来上がっていきます。
MAPE 30% の意味と限界
この記事では、経験則発注の目標として MAPE 30% を設定しています。では、この「30%」とは実際にはどの程度の精度なのでしょうか。
MAPE(Mean Absolute Percentage Error:平均絶対誤差率)は、予測と実績のズレを割合で表す代表的な指標です。たとえば、
- 予測: 150個
- 実績: 120個
だった場合、誤差は30個、MAPE は 25% になります。つまり、予測が実績に対してどれくらい近かったかを数値で評価できます。
EC事業者向けの経験則発注では、MAPE 30% 程度で運用できれば十分実用レベルと考えられます。
MAPE 30% で期待できる効果
たとえば月間売上予測 3,000万円規模の事業者であれば、MAPE 30% 前後まで改善することで、
- モール在庫0日数(SKU別 月平均): 月 5〜10日 → 月 2〜4日程度
- 過剰在庫(月末在庫金額のうち回転していないもの): 月 約25万円程度削減
- 発注担当者の作業時間: 数時間〜半日 → 月 10分程度
まで改善できるケースがあります。もちろん商品特性や需要変動によって結果は異なりますが、「勘だけで発注する状態」と比べると、十分に大きな改善効果が期待できます。
一方で限界もある
経験則発注には明確な限界があります。最も大きいのは、前年と似た販売パターンが続くことを前提としていることです。そのため、
- 新商品の発売
- テレビ・SNSでのバズ
- インフルエンサー紹介
- 突発的な需要変化
- 市場環境の急変
などは予測できません。
また、販売実績がほとんどない新商品では、前年データが存在しないため、経験則だけでは十分な精度は出ません。この場合は、
- 類似商品の販売実績
- カテゴリー平均
- 担当者判断
を組み合わせる運用が現実的です。
自社で見るべき視点 MAPE 30% は「完璧な予測」ではありません。しかし、経験だけに頼る発注から脱却する最初の目標としては十分実用的な水準です。まずは毎月MAPEを測定する習慣を作り、自社の予測精度が改善しているかを継続的に確認することが重要です。
よくある失敗と対処
経験則発注はシンプルな仕組みですが、運用を始めるといくつかの共通した失敗が起こります。
失敗1: 季節係数が異常値になる
前年に大型キャンペーンやテレビ放映があった月をそのまま利用すると、季節係数が大きく歪みます。
対処法: 前年データを見直し、「異常月」フラグを付けて係数計算から除外します。
失敗2: トレンド係数が毎月大きく変動する
販売数が少ないSKUでは、前年同期との差が少し変わるだけで係数が大きく動きます。
対処法: - 上限 1.5・下限 0.5 を設定する - 月販売数 50個未満は L2 運用に戻す - 3か月移動平均で平滑化する
失敗3: モール在庫0日数が改善しない
予測が合っていても、安全在庫が少なすぎるケースがあります。計画上はリードタイム30日でも、実際には35日かかることも珍しくありません。
対処法: 実績ベースで「発注日から入庫日まで」の日数を記録し、実効リードタイムを基準に安全在庫を設定します。
失敗4: 担当者が変わると運用できない
経験則発注の最大の敵は属人化です。担当者しか知らない係数や判断ルールがあると、引き継ぎができません。
対処法: - 「ルールブック」シートを作る - 季節係数・トレンド係数の定義を書く - リードタイムと安全在庫はマスタシートで一元管理する
失敗5: SKU数が増えて運用できなくなる
SKU が300を超えると、スプレッドシートだけでは更新作業が重くなることがあります。
対処法: まずは売上上位80%のSKUだけ L3 を適用し、残りは L1 または L2 で管理します。それでも運用負荷が高くなった段階で、需要予測機能を備えた在庫管理システムへの移行を検討するとよいでしょう。
次のステップ
ここまで紹介した経験則発注は、多くのEC事業者にとって最初に取り組むべき需要予測の仕組みです。スプレッドシートだけでも十分に運用でき、担当者の勘を「誰でも再現できるルール」に変えることができます。
まずは3か月程度運用し、MAPEを毎月計測してみてください。もし、
- MAPE が 25〜30% 程度で安定した
- SKU数が増えて管理負荷が高くなってきた
- 季節商品の予測精度をさらに上げたい
- 複数モール・複数倉庫をまとめて最適化したい
という状況になったら、次の段階へ進むタイミングです。
統計式による需要予測へ
次に取り組むべきなのは、統計式による需要予測です。代表的な手法としては、
- ETS(指数平滑法)
- Holt-Winters法
- 時系列回帰モデル
などがあり、経験則では捉えきれない季節性やトレンドを数式として扱えるようになります。MAPE 15〜20% 程度まで改善できる可能性があります。
AIによる需要予測 × 供給シミュレーションへ
さらにSKU数が500を超えたり、Amazon・楽天・自社EC・卸売など複数チャネルを同時に管理する場合は、AIを活用した需要予測 × 供給シミュレーションも現実的な選択肢になります。
たとえば、複数の予測モデル(Prophet、ARIMA、XGBoost、LightGBM など)を日次で使い分けて最高精度モデルを自動選択し、さらに工場・中間倉庫・モールの3階層をまたぐ供給シミュレーションを行うことで、SKU別の発送量を毎日全体最適で決定できます。予測精度だけでなく、発注判断にかかる時間も大きく削減できます。
重要なのは、最初から高度なAIを導入することではありません。経験則 → 統計式 → AI という順番で段階的に改善していくことが、最も失敗しにくい進め方です。
自社で見るべき視点 「今の自社はどの段階なのか」を整理し、一つ先のレベルを目指してください。経験則が安定していない状態でAIを導入しても、期待した成果は得られません。まずは再現性のある経験則発注を作ることが、予測型在庫管理への第一歩です。
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